2014年8月28日木曜日

【短期連載その25 鳥と日本と九九】

こんばんは。
日が落ちるのが早くなったり涼しくなったり、この辺りでは稲穂が出てきたり、秋がぐっと近づいてきましたね。

今朝、犬の散歩から帰り家に入ろうとした時、一羽の鳥がふわふわーっと飛んできて我が家の窓ガラスに激突をし、そのまま庭に転がるという一部始終を目撃してしまった。近づいてみると、羽がうまく閉じない感じでぐったりしていたので、どうしようどうしようと手のひらに乗せて羽をチョイチョイっと直したりしていたら、少し元気になってキョロキョロしはじめて、しかし全然飛んでいかないのでしばらくそのままにしていたら、どのタイミングなのか分からないけれども、突然手のひらに糞をして飛んでいきました。軍手をしていて良かったという話です。

 

 ウグイスですかね。


さて、夏休みも残すところあと数日。
宿題も無事提出したし一安心、と思っていたら、息子が、休み明けに日本の都道府県名とその位置を覚えるテストがあるらしいと言ってきた。
テストと聞くと、私自身昔から刷り込まれたアレなのか、白地図プリントして何だか結構頑張ってしまう。 頑張っていたのは息子なんですけどね、、親ってどこまで子どもの勉強を見るんですかね。それこそ子どもの性格と親の価値観ですかね。

何かの講演(確か虐待の話とかだったと思う)で、「人間は自分の育ってきた環境を『普通』だと思う傾向がある」という話を聞いたことがあって、気を抜くと本当にそうだなあと思います。私は高校のとき、進学校(の下の上くらい)にいたので、割と長い間、いわゆる「勉強」が身近にあり、そういう目で子どもたちも見てしまっている気がします。それは私がそのような価値観のもと、特に逆境もなく今に至るためかも知れません。よく、学校の勉強が将来何の役に立つか分からないというのを耳にするけれど、勉強の内容それ自身はほぼ役に立たなくて、大事なのは「何だかものすごく勉強した」という経験(それは今後何をする上でも必要な地力になる)と、そうやって入った学校にいるユニークな人たちとの出会いじゃないかなあと思う。一体頭の中、どうなっているんだろうと思わせられる人たちに、多感な時期に会えただけでも良かったと思っています。

だから、えー、何が言いたいのかというと、私はこうやってやってきたが、一生懸命やる内容が、別に学校の勉強でなくてもいいんです。どの分野でも、ものすごく努力すればある程度の結果を得ることができるし、時々天才的な能力を持つ人もいて、自分の世界を広げてくれるんです多分。なので、話は戻るが私が白地図をプリントして頑張ることが、いいのか悪いのかどうでもいいことなのか、考えてしまう。

もう少し子どもたちが大きくなって、自我が今よりはっきりとしてきたとき、月並みですが、勉強の他に没頭できる何かがみつかれば、そしてそれが人の道に外れていなければ、喜んで応援したいと思います。できるかな。子どもっていつも想像のはるか先をいきますでね。。そして応援されてもされなくても、勝手にどこかに行ける自信を持ってもらえたらいいんですけどね。

とか何とか言いながら、日本地図の傍ら、娘には「九九は夏休みにある程度覚えた方がいいで!」とドリルをあてがったり、こうやって文章にするとなかなかに嫌なお母さんだな。週末は遊びに行くぞー!


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