2017年8月11日金曜日

【短期連載その14 名前がない】

お盆も近いので、子供を連れて実家を訪ねてみました。私は生まれ育ったところの隣市に嫁に行ったので帰ろうと思えばいつでも気軽に帰ることができるのです、といっても今は親もまだ無事息災に過ごしているので、つい足も遠のき帰るのは年に数回といったところである。
高校卒業したら遠くで一人で暮らしたいと思っていたのだけれども、遠くの街にある大学に落ちてから結局ずっと赤味噌で1chは東海テレビで机は「つる」ものなところで生きています。それが年々快適になってくると同時に、気づかぬうちにものの見方が矮小になっているのだろうな、とも思う。
自分の生きてきた年月が長くなればなるほど、同じような毎日を繰り返せば繰り返すほど、自分の中の轍が深くなってそれ以外の道に進みにくくなり、そのうち他の道があること自体を忘れていく気がします。自分の価値観とは全く異なるものへの感度が低くなり認めなくなるみたいな、居心地のいい世界で同じことを繰り返すみたいな。
「自分がここにいること」に対する違和感は思春期よくある感情で、それをわざわざ表立ってわあわあ主張するのは好きではないのですが、ただ、その違和感のそばに何か大切なものが隠れている気がずっとしています。昔から時折、何かが刺激になってその違和感のそばの大切なものをそっと撫でる時があって、そういう瞬間がとても好ましい。見慣れた景色の中に何かひとつ新しい発見をしたような気分になります。その好ましい瞬間を自分でも作れたらいいな、と思ってfirmamentiaを始めたのかもしれないですね。うまくいかないことの方が多いですが、少なくともそういう気持ちを大切にしてものを作れたらと思います。
なーんて、ノースリーブ製作止まってますがんばります。


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