2018年8月15日水曜日

【短期連載その13 螺旋】

お盆ということもあり、子どもたちを連れて実家に遊びに行きました。旅行で呉市に行った話をしていたら、その流れて祖父の話になり、祖父はやはり呉で大和の造船に関わっていたそうです。大和(に限らないかもしれない)の砲筒の中はらせん状になっていて、そのらせんの溝に沿って砲弾が出るようになっているらしいのだが、小柄な祖父は砲筒の中に入り、その溝を削っていたそうな。そのあと何やかんやあって豊川海軍工廠に移り、そこにある幾つかの工業機器を空襲から守る為、数人で長野まで疎開させている間に豊川空襲があり、工廠は壊滅、終戦、田舎に帰ってリウマチの持病がある女性と結婚、子をもうけ、富山、豊橋、岐阜と移り住み、退職し、働く娘の代わりに孫の面倒をみて、惚けてきた妻の面倒をみて、妻の最後を看取り、デイサービスに通い、デイサービスで呉の、豊川の、若かった頃の自分の話を何度もして、ある日いつものように晩ご飯を食べて、その夜半あの世に行きました。もし工業機器を疎開させる役目を担当していなかったら、もし呉にそのままいたら、もしあのときこうだったらああだったら、母も生まれず私も私の子どもたちも生まれていなかったかもしれない。同時に、もしあのとき空襲に遭わなかったら、戦地に行かなかったら、もう少し早く終戦を迎えていたら、好きな人と結婚していたかもしれない、子どもや孫をもうけていたかもしれない、やり甲斐のある仕事に就いていたかもしれない人たちが沢山いたのも事実、と思いながら送り火をしました。



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